元禄の世の忍者と今の日本人!

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元禄の世の忍者と今の日本人!

日本が抱える多くの問題の一つとして、企業や役所の効率の悪さ、”国の縦割り行政”、”企業のセクショナリズム”などがある。四方を海に囲まれた日本の成り立ちにも関係するのだろうが、内に内に入ってしまい、自分たちが所属する組織の中で発想が止まってしまう。

例年、この時期お決まりの忠臣蔵に関連して、面白い記事が今日の読売新聞に載っていた。磯田道史の”古今をちこち”という特集で、『赤穂城下に3人の忍者』という記事だ。なんでも赤穂藩の隣の岡山藩(岡山藩池田家文庫)には”赤穂書付入”と書かれた気箱が残っているそうだ。大石内蔵助の母は岡山藩の家老の娘で、浅野内匠頭の刃傷事件に際して、大石内蔵助の親戚も岡山藩には多く、親戚のよしみで赤穂藩にかけつけるのではないか?と岡山藩ではかなり心配になったようだ。実際には赤穂浪士で有名な吉良上野介邸への討ち入りとなったが、大石内蔵助が赤穂城に籠城するのでは?との噂もあったようだ。その時に、各藩の忍者が赤穂藩に潜入し活躍したそうだが、岡山藩の忍者からの藩主への報告書が今も残っており、それが”赤穂書付入”というわけだ。今でいう出張報告書だ。

すでに江戸時代になって100年近く経ち、戦国の世のような忍者がいたのか?と思ったが、これがなかなか今の平和ボケした21世紀の日本社会に通じる話であった。忍者を他藩に潜入させる際、藩主が国元にいるのなら藩主が、藩主が江戸にいる間であれば、仕置家老が忍者をまとめる判形(藩主の秘書室長のようなものらしい)に忍者派遣を指示する。この判形が忍者からの情報をまとめ、仕置家老、藩主に報告をするそうだ。詳細はこれ以上、触れられていないが、推測するに実際にはもっとビューロクラティックで忍者派遣の指示書には藩主、仕置家老、判形・・・と多くの署名があり、いったい誰が責任をとるのか?よくわからないシステムに既になていたのでは?と思う。(よく日本の会社で、シャチハタが10個ぐらい押された書類とか見かけるが、あれはハンコ押すのだけで時間取られ、あたかもそれ自体が目的になってしまう・・・)

果たして、元禄の世はどうだったのか? 他国に潜入したくても上司のハンコ待ちなんてことあったのか?

今の日本が戦後の65年を平和ボケして過ごしてきた間に、国も企業もかなりメタボな、責任の所在もはっきりしない、決断ができない体制になってしまった。そういう意味では、平和慣れした元禄型企業だ。今伸びている会社って、だいたいが信長型のトップダウン、秀吉型のベンチャー成り上り企業など皆、戦国型の自由な発想で決断が早く、責任の所在がはっきりした企業ばかりだ!


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