CISチタン協会/チェルノブイリ25年 ~ウクライナ・リボフ訪問

| EDIT

CISチタン協会総会参加~リボフ訪問~

今年で私自身6回目になるが、毎年この時期に行われるCISチタン協会の年次総会に参加してきた。今年の会場はウクライナ西部にある世界遺産にもなっているリボフだ。チタンに限らず、この手の会議には出来る限り参加するようにしている。効率良くサプライヤーや需要家との面談がアレンジできるからだ。アメリカや欧州で行われるもっとメジャーな会議より、今回のようなCIS地域のみの会議などよりマイナーな会議になると我々の強みが発揮でき、参加し甲斐もあると言える。


IMG_1273_convert_20110427135239.jpg
≪リボフ空港≫ ソ連時代の建築にはこの手の凝ったものも多い。


IMG_1277_convert_20110427135351.jpg
≪会場のリボフ大学≫欧州でも最も歴史のある大学の一つ。確か今年で350周年とか。

IMG_1281_convert_20110427135515.jpg
初日の基調演説で講演することになったので、檀上にいる。檀上右から二人目が私。


IMG_1282_convert_20110427135637.jpg
日本のチタン産業の状況を毎年発表しているが、今年はほとんどが震災ネタ。先日のモスクワの方が放射能高い!というウイバ長官の話など盛り込み、報道されているよりは”普通な”日本の状況を伝えた。また、ロシア、ウクライナなどからなどの支援についてのお礼も一緒に。落とすところ、笑わすところ、拍手してもらうところなど一応予定通りのリアクションであり、まぁ満足出来る内容で一安心。会議で講演をする時は、講演を片付け、ほっとした時のビールが何とも言えない!


IMG_1311_convert_20110429034949.jpg
会議の最後にあった市内観光。お墓に連れていかれたのだが、複雑なリボフの歴史を反映している墓地であった。元々、この地域はガリチアと言って、古くはポーランド王国の一部であったが、18世紀にポーランド分割の憂い目にあい、オーストリア=ハンガリー帝国領となる。その後、第一次大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が解体されたため、再度ポーランドの領土となったが、第二次大戦に際し、またもやドイツとソ連により分割され、ウクライナ領となり、今に至っている。そのため、20世紀初頭までのお墓にはポーランド語(ラテン文字)で書かれているが、それ以降のお墓にはウクライナ語表記が増え、ソ連時代真っただ中の20世紀半ば~後半のものは、社会主義っぽい彫刻がふんだんに施されていたりとこの地域の複雑な歴史が垣間見れる。あまり墓地で写真撮るのもどうか?と思ったが、味のあるお婆ちゃんが来たので、一枚だけ撮らせてもらった^^

IMG_1307_convert_20110427135752.jpg
ちょうどリボフにいた25日で、チェルノブイリ事故後25周年。福島の問題もあり、こちらでも関連行事がいろいろと行われたいた。2036年3月、チェルノブイリは50周年、福島が25周年となるが、いったい日本はどうなっているのだろうか????


スポンサーサイト
↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。